JICA青年海外協力隊の任期となる2年間が終了しました。
喜怒哀楽の感情が嵐のように揺れ動いた2年間。
この2年間で何を感じ、自分がどう変化したかまとめておこうと思い、記事を書く事にしました。
今回は、②JICA青年海外協力隊に参加して「失敗したこと」「マイナス面」と題して
失敗から学んだ事を中心にまとめていきたいと思います。
もし興味がある方がいましたら、前回の
①理学療法士がJICA青年海外協力隊に参加して「良かった事」「成長できた事」 厳選3つ
の記事も読んでもらえると嬉しいです。
2年間の簡単なまとめや流れなども書いてあるので、よければご覧ください!。
1:ICA青年海外協力隊に参加して、「失敗したこと」「マイナスな面」を箇条書き
そんな2年間を振り返って、自分の中で「失敗した事」や「マイナスな面」と思う事を箇条書きで書き出してみました。
■「失敗した事」「マイナス面」
・自分の価値観を押し付けてボランティアを行い、相手のやる気を促す事ができなかった。
・相手を見ず、理解しようとせず、心から通じ合う事ができなかった。
・はっきりと自分の思いを伝える事ができなかった。
・頑張りすぎて体調を崩してしまった。
・高度な臨床的な知識が衰えた。
・日本のきっちりとした時間へ価値観やルールを守る感覚に慣れず、日本で生活しづらくなった。
・モンゴル語ばかり話していたので、英語の能力が低くなった。
こんなところですかね笑
2:理学療法士が「JICA青年海外協力隊に参加して、「失敗したこと」「マイナス面」」厳選3つ
箇条書きした中から、特に印象的な項目を3つ選び、詳細に記載していこうと思います。
①自分の価値観を押し付けてボランティアを行い、相手のやる気を促す事ができなかった。
私はモンゴルへ赴任して最初の頃、「モンゴルのリハビリを良くするんだ!俺の学んできた知識と技術を伝えるぞ!」と気合が入っていたのを覚えています。
モンゴルへ赴任する前に、JICAの研修などで、「任国の人のペースに合わせる。相手の話を聞いてボランティアを行う」事の需要性を教わっていた為、自分なりに、相手のペースに合わせて、相手の話を聞くように意識をして活動を行なっていました。
しかし実際は、相手の価値観や考えなどを一応聞いているけど、深く理解しようとせず、
「そんな考えだから良くならないんだ」と感じる事がありました。
そして、そんな風に思いながら活動をしていると、自分の価値観を押し付けるような関わりをが増え、
その様な接し方を続けていると、
相手は自分が伝えた事をしない事も多く、
自分では良かれと思ってやっていることも、空回りしていると感じる事が増えてきました。
これではまずいと思い、先輩や協力隊の同期などに相談に乗ってもらっている内に、気持ちが落ち着き、自分が焦りすぎていると気づく事ができました。
それからは、
「自分の2年間の活動で劇的な進歩がなくても大丈夫」
「自分という存在がいるだけで、何かしらの意味がある」
と
自分の中の活動目標へのハードルを下げる事で、
本当に相手のペースに合わせ、相手の話を聞く事ができるようになってきました。
そうすることで、相手がなぜこのような行動を取るのか、発言をするのかが少しずつ理解できてきて、アドバイスも相手目線でできる事が増えてきたと感じていました。
相手の為を思うなら、
相手と「同じ型」の「同じ早さ」の歯車を回して、最初はゆっくりで良いから、しっかりと噛み合う。
そして、その歯車を徐々に大きく、速度を早くしていくような支援が自分には合っていると感じました。
②相手を見ず、理解しようとせず、心から通じ合う事ができなかった。
①の内容にも通じる事なのですが、モンゴルに赴任して最初の頃は、
モンゴル人の時間にルーズだったり、豪快さがある分、相手への配慮が欠けてしまう所に目がいき、
モンゴル語が満足に通じない事も合わさって、ストレスを感じる事が多かったです。
そして、そんなストレスから自分の身を守る為に、何かあっても
「モンゴル人だからしょうがない」
と目の前の相手をしっかりと見ず、モンゴル人という大きな枠組みの中でしか相手を見ない時期がありました。
しかし、たくさんのモンゴル人と出会う中で、
モンゴル人でも、相手に対して細かい気配りができる人もいれば、時間を守る人もいる。
同じモンゴル人の中でも色々な人がいると感じました。
それは日本人でも同じだ!日本人でも色々な人がいると思い出しました。
恥ずかしいのですが、そんな当たり前の事に後から気づきました。
それからは、モンゴル人いう大きな枠組みで人を見るのではなく、
目の前の〇〇さんとして、
しっかりと相手を見ることが大切だと学びました。
その感覚は、日本に帰ってきてからも大切だと感じています。
相手の理解出来る所や共通点を見つける事が面白い。
だって、人間はみんな一人一人違うから。
そんな風に思いながら、過ごす様になりました。
③はっきりと自分の思いを伝える事ができなかった。
①②で書いた様に、モンゴルに赴任して最初の頃は、相手をしっかり見ずに自分の価値観を押し付ける事が多かったのです。
しかし途中からは、相手を見るようにして、「郷に入れば郷に従え」の精神で、モンゴルに染まって支援を行なっていました。
その様に活動をしていると、気持ちがモンゴルに寄りすぎて、
日本にいた頃の自分にとっては課題と感じる事も、
相手の事を考え過ぎ、指摘するか悩んだり、
はっきりと言う事が難しくなってきてしまいました。
はっきりと自分の思いを伝えず、曖昧に相手の気づきを促す様に伝えようとしても、
そもそもモンゴル語が満足に通じないので、
相手は俺が何を言いたいか、どんな事がしたいのかわからず、
活動が停滞したり、相手に舐められていると感じる時期がありました。
しかし、モンゴル人達を見ていると、言い合いの喧嘩になった次の日もケロッと仲良くしてる人が多いと感じました。
言いたい事を言う。
言った後はまた友達。
そんな感じでとても気持ちが良い人間関係を保っている人が多いと感じました。
なので、自分もどうせモンゴル語が上手くないんだから、
勇気を出してはっきりと、
言いたい事や、やりたい事を伝える様しました。
もちろんうまくいかない事もありましたが、
自分の気持ちは前より伝わり、相手との関係は良くなっていく感覚がありました。
そして、やりたい活動が進んで行く事も増えてきました。
そんな中で、日本に一時帰国した際に、
漫画バカボンドを読んで
「この世に強い人なんておらん。強くあろうとする人。おるのはそれだけじゃ」
という又八のお母さんのセリフに、まさにその通りだと思い、感銘を受けました。
人生には勇気を出して戦う必要がある時がある。
その時に、どの様にするかは自分次第だと思い、
もっとモンゴルで出来る事もあったかなと反省もしたし、よく戦ったなとも思いました。
そして、その気持ちでモンゴルに戻ってからも、「勇気を出して相手の為に支援を行うぞ」と考えていました。
結局再びモンゴルに行って、活動を行う事はできなかったのですが、
日本から行なったオンラインでのモンゴルへの支援や、日本での活動の際に、
相手に自分の想いを伝えることは以前よりできていたのではないかと思います。
2年間の活動が終了してからの研修で、発展途上国や地域を変えるためには、「よそ者」「若者」「馬鹿者」が必要と教わりました。
長い間の習慣を変化させるには、外部からのパワーが必要という事らしいです。
自分のモンゴルでの活動は少し、モンゴルに気持ちが染まりすぎて、「よそ者」「馬鹿者」の視点が足らなかったなと思っています。
「郷に入れば郷に従え」の精神で相手を理解する事も大切ですが、
協力隊にしかできない「よそ者」「若者」「馬鹿者」の視点を持って、
相手へ伝えていくバランスが大切だと思いました。
そして、今後相手に自分の思いを伝える時は、
日本人の「相手への思いやり」とモンゴル人の「豪快で爽快な感覚」を
自分の中でうまく調和して、
相手に本音を伝えるようになれば、
モンゴルでの経験がより価値のあるものになると思っています。
3:まとめ
ICA青年海外協力隊に参加して「失敗したこと」「マイナスな面」と題して、自分の考えや経験をまとめてみました。
振り返った時に、「参加しなければよかった」と後悔する気持ちはなく、マイナス面を探すのに時間がかかりました。
たくさんの新しい事や負荷の強い課題が降りかかる日々で、精神的にも肉体的にもしんどい事は多かったです。
協力隊の日々を心の筋トレという考え方をするならば、心へのダンベルの負荷量設定や心の筋トレの頻度を間違えて、
何度も故障をしましたが、その都度、自分の限界を知り、精神的にも強く、柔軟になれたと思いました。
次回は、③「JICA青年海外協力隊に参加した理由と決意するまでの葛藤」についてまとめて、JICA青年海外協力隊の振り返りをひとまず終了しようと思います。
興味がある方がいましたら、閲覧いただけると嬉しいです!
ここまで、読んで頂きありがとうございました!